バースデーランウェイ主催者 ナカハラユウカのはじまり
入社したお店はパートさんが多く、社員の自分がしっかり指示出さなきゃと思っていたが、それじゃダメだなと気づいてから、一緒に協力してもらうために自分はどういう人間でいたらいいかなど、料理以外もとても勉強になる日々だった。
料理人として修行しながらも、ギターはずっと続けていて、休みの日は横浜や福岡など有名な教室にも通っていた。その当時は音楽で食べていきたい気持ちもあったと思う。でも今になってすれば、自分にはこれというものがなかったから、持っておきたいという愛着ではなく依存だったように思う。
何かしていないと、忙しくしてないと不安。成長しないといけない焦りがいつもあった。
私は料理人としてレベルアップしたくて、お店を転々と変えて修行した。
18歳からひたすらがむしゃらに、ずっと全力でやり続けた。
しんどいなぁ…
いつの間にか、仕事中に声が出なくなるくらい私の心は疲れきっていた。
でも辛いことを乗り越えたらその先に何かあると、ずっと信じて頑張ることしかできなかった。
仕事帰りの電車の中では、涙が止まらない日が続いていた23歳の冬。
ピーンと張り詰めた糸が、心の中でプツンッと大きく音を立てた。
あぁ…明日から もう 行けへんな
仕事終わり私は静かに悟った。
絶対明日お店に来られないと初めてその時強く思った。
魂がどこかに一人で歩いて行ってしまったように、心はもうここになかった。
冷静にコック服やシューズ、自分の包丁などの私物をカバンに詰めた。
ここに来た時は、ワクワクした気持ちをカバンいっぱいに詰めてきたはずだったのに。
悴む手でカバンを握りしめて、私はガチガチに冷えた体と心を引きずるように店を後にした。
退職の連絡はメールでした。
本当に情けなくて、情けなくて。
迷惑をかけるのは痛いほどわかっているのに。
私は、声を出すことができなかった。