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バースデーランウェイ主催者 ナカハラユウカのはじまり

私は料理人の夢を諦め、今度はガラッと変えた仕事にしようと職業訓練校でDTPを学ぶことにした。これを選んだのは、カッコイイから。料理人を目指した理由とそう変わらない理由でとりあえず勉強しようと通い出した。イラストレーターやフォトショップなどを学んだ後は、それを生かせる就職先を探した。いろんな会社を見て、着物の染めの技術を用いて洋服を作っている会社に転職することにした。

会社も私が初めての社員で、webを強くしたいということで採用してくれたようだった。

私はwebデザインとかを専門にやると思っていたが、仕事内容は本当に多岐にわたるものだった。

サイトの運営、撮影、コンテンツマーケティングにアパレルなどの商品企画…。

何もかもやったことがないものばかり。聞こうにも他に聞ける人がいない。

自分の知識だけじゃどうにもならなかったので、服を学ぶために近所にある洋裁の教室に行き、webのデザインの学校にも通って一通り勉強した。

会社はベンチャー企業だったので、本当におもしろい体験ばかりで、この会社の社長との出会いは、私の人生を変えた一番の転機だったのかもしれない。

この時、幅広くやった経験が後々生きてくることになったが、その時の私は専門的に何かをやりたいという気持ちが大きかった。

私はどれだけ仕事に打ち込んでいても、毎日勉強していても常に不安だった。苦しくて、足りない何かを埋めるためにスキルを身につけようと必死だった。

姉はずっと絵を描き続けて、今では絵で食べていけるようになった。一つのことをやり続けて、“画家”というものになった。友人も一つのことを続けている技術職の人が多かった。

私も何かになりたい。“何者”かにならなければならない。

根底にはずっとそんな気持ちが燻っていた。

道を極めたらすごい人になれるかもしれない、そんなことを思っていた。

転職して2年経った頃、私は習い事として勉強したことを早く上達させたい、それなら仕事にしようと新たなステージに行くことを決めた。

私は日常に着る服にはそんなに興味はなかったが、ドレスは夢があって好きだったので、舞台衣装の会社に転職することにした。

その会社では、“パタンナー”と“ミシン”、“まとめ”という仕事内容に分かれていて、私は“まとめ”に配属された。“まとめ”とは手縫いをする部署で、デザイン画を見てイメージを作るという夢のあるポジションで楽しかったが、基本無言でひたすら衣装を手縫いする日々だった。ずっと同じ作業。単純作業。

入社から1年半。

季節は梅雨を迎えていた。