• HOME
  • 学生
  • 私が私であるために (大学生 飯塚 帳さん)

私が私であるために (大学生 飯塚 帳さん)

私は自分の顔が好きではない。

長い髪もスカートも化粧も好きではない。

似合わないのだ。

鏡に映る自分は何時も自信無げ。

大学2年の春まで、私は私ではなかった。

 

サークルの発表会が終わった1ヶ月後、街行く人の様相が激変した。スーパーの店員も、花の高校生達も、ジョギングする人も皆マスクをつけた。それまでマスクをする人は大きく分けて3通りだったと思う。花粉症の人、風邪予防の人、そして自分の顔を隠したい人。マスクは顔の半分以上を隠してくれる。だから容姿に自信のない私にとって、マスクは心を守る防護服のようだった。

高校生の時から毎日マスクをつけて登校するような生徒だった。それ故に「どうして?」と聞かれることも少なくなかった。

「風邪気味だからちょっとね」

「花粉症が酷くてさ」

「インフルの予防のためだよ」

その度に嘘をついた。大抵の場合はそれで納得してくれた。小さな罪悪感と自己嫌悪が積み重なっていく感覚を今でも思い出せる。

大学生になって接客のアルバイトを始めた時も一年中マスクをつけていた。花粉症やインフルエンザが流行る時期は何も無かったが、夏の暑い日にマスクをつけていると何人かのお客さんから声を掛けられた。体調を心配する声には申し訳なさでいっぱいになり、「どうしてマスクを外さないんだ。失礼だろう!」と怒鳴られた時には頭の中が真っ白になった。風邪でも予防でも花粉症でもなく毎日マスクをつけ続ける私は、傍から見れば「変な人」だったのだ。

こうなってしまったことにも理由がある。

私は中学生の時、半年ほどいじめにあっていた。ほんの些細な言い争いが火種だった。昨日まで自分がいたグループから除け者にされ、先週まで一緒に遊んでいたはずの人達から、無視や陰口、面と向かって悪口を言われた。その悪意ある言葉の中には、私の容姿を貶すことも含まれていた。

輪郭や鼻の形が悪いだとか、顎が人より長いだとか、嫌な事ほど忘れないものだ。あの時の言葉を未だにはっきり覚えている。

それから私は自分の容姿が嫌いになった。

マスクを一年中つけていると目立つ。それはそうだ。心身共に健康な人であれば、マスクなんて煩わしいことこの上ない代物だろう。それを一年中つけている私は相当滑稽に見えるに違いない。私自身、自分だけがマスクをつけている事への焦燥感は常に感じていた。隠さなければいけないほど自分の容姿は人よりも劣っている、マスクをつけなければ外にも出られない臆病者、そんな考えは私の自尊心を容赦なく切り裂いた。