SainoMediaサイドストーリー (希以子)

ちょっと書いてみたいとうっかり思ってしまったのだ。もともと創作は好きで、、うかつにもワクワクしてしまった。空っぽな日常に、何かやりがいというか、必要とされたいという気持ちもあった。

「うんうん!書いてみてよ!キイちゃんには文才がある気がしてたんだ」

そんなバカな。私、小説なんて書いたことないんだけどと思いながら、みたこともない才能を褒められて、悪い気はしなかった。

何より希以子は、なにもなくなった自分に明日やることが欲しかったのだ。

「いつまでに書いたらいいかな」

「早い方がいいな。来週は?」

希以子はぎょっとした。さすがに書いたこともない初挑戦のものが来週まで出来上がるだろうか。でもどうせ明日だってやらなきゃいけない事もないし、少し詰め込んだ方が、しんどい現実からちょっと逃れられるような気もしていた。

「了解!まあ頑張ってみるけど、期待はしないでね」

「キイちゃんなら大丈夫だよ。俺は見る目あるからさ」

ほんとかなぁと希以子は苦笑いしながら、この企画の重たさにもあまり深く考えない義光に一抹の不安を感じながら、今はただやりたいというその果敢に取り組む姿勢にはちょっと救われた気がした。

希以子は、自分を信じたことも自信を持ったこともほとんどない。

7年勤めた会社は、お店が併設されたオーダーメイドの革工房だった。

希以子は主に革の小物作りに携わっていたが、仕事にはいつも不安がつきまとった。

革は寸法や縫い穴を間違えると、やり直しがきかない。その上、材料費が高額だ。いつもそのプレッシャーとの戦いがあった。

でも、希以子にとってその職場は、どんな遊園地よりもワクワクして夢のような職場だった。

もう戻れない。夢のワンダーランドは夢のように消えてしまった。

帰り道、夜空に向かってまた溜息をつく。

―なんか仕事に失恋してるみたい。

希以子は苦笑した。

家に着いてコーヒーを入れながら、改めて昼間に義光から渡された短編小説をカバンから取り出した。

よく見ると、最後のページに企画書が添付されていた。会社を立ち上げての初めての企画に、義光の意気込みが感じられる。

人生の場面、人や職業などをサイコロの面のさいの目と、才能、それにメディアとくっつけたサイノメディアというネット上の本棚の企画。

この小説は、ただの創作物ではない。

何者かになった人の、その“始まり”をテーマにした小説だった。

そして、それを本人ではなく、他人が書く。ノンフィクションであってそうではない。

第一回目は、義光についてだった。

会社員として苦悩しながらも、新たな道を模索し、歩き出した義光の新鮮な言葉が綴られていた。

希以子は大学時代の義光を思い出しながら、パソコンのキーを叩いた。

場面には、季節の香りや情景に思いを巡らせて書き続けるうちに、この小説は気づきをくれるいい企画だなと改めて思った。

最後は、次の人にバトンをつなぐように締めくくった。

希以子は天井に向かって、息を、大きく吐いた。

約束の一週間はあっと言う間だった。

待ち合わせは、また前回と同じ古びたカフェだった。

おそらく追いやられるタバコ族が、気楽に吸える喫茶店はもうなかなかないためだろう。

義光はタバコのことになると、ちょっと人が変わったようになるときがある。

緊張のためか、扉が重い。

希以子は意を決して力強く、扉を開けた。

前回よりドアベルが大きく響いた気がした。

義光はまだ来ていなかった。

一息ついて、希以子はソファー席に腰を下ろした。

自分で書きたいと言ったくせに、実際書き終えた小説は、やっぱり自信がなかった。ましてや他人を他人が書くことに、どういう意味があるのだろう。書かれた本人はどう思うだろうか。不安がつきまとう。

「きいちゃん!お待たせ!」

義光の声にハッとする。

「あぁ、、うん」

希以子はなんとか返事をした。この緊張感から早く逃れたくて、義光に小説を差し出した。

「ありがと。楽しみだな」

義光は、店員にアイスコーヒー2つと注文しながら、小説を受け取った。

希以子は勝手にメニューを決められて、注文されたことなんかより、その場にいるのがソワソワして居心地がすこぶる悪く感じた。

しばらくして義光が口を開いた。それは希以子にとって意外な言葉だった。

「いいね!なんか小説っぽくよくまとまってるね」

「そ、そう?」

希以子は胸をなで下ろした。正直、誰かの人生を書くなんて、重たすぎてしんどい思いもあったのも確かだ。でも、それ以上に意味も感じてはいた。

「今度、お茶がてら取材しにいくんだけど一緒に来ない?」

「取材?そうだねぇ、、」

希以子は言葉を濁した。

「イギリス菓子のお店で、アフタヌーンティーもできるんだよ」

「イギリス菓子?!素敵!」

希以子は思わず、笑みをこぼして言ったが、ハッと真顔にかえした。

義光はそれを見逃さなかった。

ニヤリと笑って

「じゃあ、決まりね。土曜日の14時くらいに車で迎えに行くよ」

―ヤバい、また面倒なことに足を突っ込んでしまった。

そんなことを思いつつ、少し変化のある日常に、就活も頑張れそうな気がした。