私が見つけたコロナ禍の推し(大学生 ぽむちさん)
「どうも皆さん、おはこんばんにちは」
画面から、今では聞きなれた声が聞こえてくる。
2020年時点でアクティブユーザー数は20億人を超え、
「おうち時間」でさらに利用率は増加している動画サイト、YouTube。
多種多様な分野が毎日更新されるこの世界で、私は「推し」を見つけた。
「推し」の存在は、今の私に大きく影響を及ぼしてくれた。
「私がここ一年で始めたこと」
まずは、これまでから。
2019年4月
「英語は勉強したくないけど、国際系の学部に行きたい」
「講義カリキュラムに半年留学が組まれている」
なんて単純な理由で進学した。
満員電車に40分揺られ、歩くスピードの速い都市民に負けじと、早足で歩いた。
そんな中でも地元より高い建物や、キラキラした街並みに目を奪われることもしばしば。
これまで気にしてこなかった服やメイクを意識して。
嬉しきことかな。無事に初日で友人ができ、昼食を共にするようになった。
200人は収まる大講義室で、眠たい授業をそれとなく受けた。
面白い教授と授業後に談笑して、学食で昼食をとった。
2限終了後は、長蛇の列を生む学食に走った。
それが当たり前だった。
つい昨日までの話みたい。
忘れもしない2020年の1月中旬。
あの時は誰もマスクなんてしてなくて、むしろマフラーの方が多かった。
友人と、留学楽しみだね、なんて話していた。
「それ」がニュースで流れたとたん、これまでの当たり前は瞬きする間に奪われた。
毎日更新される感染者数、店頭から消えるマスクやアルコール。
大学生になって初めての春休み
留学中止のメールが大学から届いて、私のやるべきことが失われた。
スマホのカレンダーにはバイトすら入らなくなった。
時間つぶしにと、近くに住む従弟の家に遊びに行った。
私より13歳も下の男の子。
お邪魔するや否や、聞こえてくるのは「ゲーム実況者」の声。
時代はここまで来ているのかと言わんばかりに、大画面テレビでYouTubeを観ていた。
「何見てるの?」
「マイクラだよ。おもしろいの」
一人称視点で、くるくると動く画面からは騒ぎ声が飛んでくる。
私には理解できない世界だった。
私が彼の頃には、外で走り回って毎日膝小僧をすりむいていたのに。
このご時世で外に出られないにしても、ほぼ毎日画面とお友達になるのはいかがなものかと思いながら、その日は私も一緒にただ見ることにした。
初めての「ゲーム実況」は、あまり好印象ではなかった。
時は過ぎて2020年5/11
ようやく始まった大学
今では当然の「オンライン授業」
画面耐性のない私は、オンライン授業が始まって一週間で体調を崩した。
眼精疲労からくる胃の不快感、頭痛、一人トイレで嗚咽を漏らすしかなかった。
正直、あんな思いはもうしたくないので一つ今更なアドバイスを過去の自分にするならば
「ブルーライトカット眼鏡を買いなさい」
「画面を連続で直視するのは20分以内」
けれども、人は変化し、進化するものするものというのは本当で、毎日ライブ授業やらオンデマンド式授業を見ると、視力を対価に画面慣れしていた。
オンライン授業に慣れ、気の抜き方を覚えた6月上旬。
暇つぶしにYouTubeを開いた。
いつもは音楽ばかりで出てくるオススメ欄に「キヨ」の二文字が現れた。
「これは見なければ」
「キヨだからきっと面白い」
彼の名は、私が中学の頃に「歌い手」として動画を挙げているのを見ていたので、
何も違和感なく「ゲーム実況」の画面に触れた。
私は即、沼に落ちた。
これが私の「ここ一年で始めたこと」
“ゲーム実況を鑑賞すること”
である。
これまで私の知るゲームはDSからはじまり、Wiiで終わっていた。
しかしこの時は、
私の中に蓄積されていたゲームの概念が一気に塗り替えられた瞬間だった。
「このゲームはなんなんだ」
「音楽からグラフィック、物語構成まで私の好みにドストライクではないか」
このゲームで映画三本は作れるであろうクオリティー。
針の進みはガン無視で、あっという間にクリア回まで見進めていた。
さらには他の実況者さんまで探していた。
「同じゲームでも、一人一人進め方が違う」
「この場所にそんな部屋があったのか」
次に触れたのは「兄者弟者」
即ハマったゲームに加えて、彼らの「声」は私の中でさらに沼を開拓した。
叫んでいても騒がしいと思わない、そもそもゲームが上手い、
なにより、「彼らの反応が面白い」
友人と会うこともできず、文字列で「笑」を重ね、バイトでもマスクの下は笑っていなかった生活が、
たった一本の動画で大笑いした。
約半年前の日常で友人と笑いあった時くらい笑った。
そこから、私の生活は「ゲーム実況」中心の生活に変わった。
「推し」という存在は絶大である。
毎日更新される新作動画から、チャンネル設立の過去動画まで、
私は時間があれば常に見ていた。
実況者さんの誕生日に行われた24時間ライブもリアルタイムで追った。
まるで彼らと共にゲームをプレイしている感覚があった。
一人を感じやすい生活の中で、誰かを感じられるのは安心した。
遂には「自分でもプレイしたい」と思うようになり、FPSゲームをパソコンにダウンロードした。
約8年越しの、自分でキャラクターを動かす楽しみを得た。
普段動画で見ているような動きはほとんどできないし、アイテムの種類も用語の意味も分からない。
けれど、少しずつ上がっていくレベルや、”勝利”の二文字が表示されるのはとても嬉しかった。
ゲームののめり込みもそこそこに、オンライン授業をこなす日々が過ぎていった。
ゲーム実況の沼に飛び込んでから二ヶ月。
外界の熱を遮断するかのように、私は冷房の効いた自室に籠っていた。
スマホスタンドからはいつものように実況者さんの声がしている。
テレビなんか付けたら、耳に胼胝ができるほど「コロナ」というワードを聞く羽目になる。だからゲーム実況という存在はちょうどよかった。
しかしふと、現実に引き戻される。
「私は今のままでいいのか?」
「せっかく語学を勉強できる環境があるのに」
「留学には行けないけれど、家でも勉強し続けるべきではないのか」
春学期を終え、宿題のない夏休みを過ごしている私はすっかり勉強をしなくなっていた。
「何かしなくては」
と、大学図書館のホームページを開き、これまた語学とは全く関係ない本を借り始めた。
「音楽」「ライブカルチャー」「2.5次元」
これまで借りたことのない本に触れ、自分の知りたいことが増えていくのを感じた。
綺麗な表紙を開くのはワクワクした。
ゲームを始めるときと同じような。
読書をはじめ、知識を得るうちに、私は将来について本格的に考えるようになった。
現在大学二年生、
自粛生活でまともな生活を送れていないし経験もしていない。
「こんな私に何ができるのか」
毎夜毎夜、夢にうなされる間もなく考え続けた。
考えすぎて諦めて、一人で海に行った日もあった。
灼熱の中、特に観光地でもない海に行き、
遠く地平線を眺めた。
雰囲気最高の入道雲はなく、
ファミチキみたいな雲があった。
現実はやっぱそんなものか
それを再認識すると、
自分の「足元」が安定した気がした。
不安定でぐらついた土台に居ても、
それでも「ゲーム実況」は変わらず私の中にあった。
これまでの人生で、ここまで私の興味が尽きない分野は初めてだった。
ならば
と
「ゲーム実況者さんを支えることをしたい」
ひとつ、確立した。
どこでどのように支えるのかはまだはっきりしていない。
が、
彼らがよりゲームを楽しめるように
快適にプレイできるように
そんな環境を作りたいと思う。
これまでサボりにサボっていた語学を習得して。
言葉は練習しないと使えない。
初めてプレイするゲームの操作方法が馴染まないのと同じ。
何回も、何回もプレイして、
ようやく自分のものになる。
でも、コントローラーは壊れたりするので、
少しずつ休憩も必要だったりする。
「自分」というものは案外複雑で面倒にできている
ので、
この小説を、私の一つの“決断”とする。