マジシャン Mintoのはじまり
早くっ!早くっっ!!
小学生の私はありったけの力を込めて、ダッシュで走っていた。
横浜の少ししっとりした風が小さな頬を切るように過ぎ去っていく。
ドッキドキする心臓を抱えて、家の玄関の扉を開ける。
「おかぁーさんっ」
大好きなおやつのビスケットに目もくれず、息を切らして握りしめていたチラシを見せながら、お母さんにワクワクな報告をする。
「こども会館で、バレエ教室が始まるんだってっ」
絶対習いたい!!ともう必死で母に熱意を伝えるとOKが出て、誘ってくれた仲良しの友達と一緒に習いに行くことになった。
私は気がついたら歌うこと踊ることが大好きだった。
実家はサザエさんちみたいな縁側があるような家で、障子をバーンと開けて劇をやったり、友達と二人でダサいギャルズなんてユニット組んで、黒いゴミ袋で衣装を作って空き地でジャイアンみたいにリサイタルしたり。
「おさしみにさよなら〜NONO〜♪」
なんて流行った歌の替え歌を作ったり(なんの替え歌か想像にお任せ♪)ファンクラブまであって、縁側で踊るたび振動で音楽が飛んでまるで一緒に踊ってるみたいになった。
秘密基地を作ったり、いま家出してますよ〜みたいな大人公認の家出ごっこをしたり。新しいことをやるのが好き。マンガや小説をかいてみたり。魔法使いも大好きで母は本だけはねだったら買ってくれたので、魔法使いをテーマにした本をよく読んでいた。
家族は父と母、私、弟に祖母の5人家族。
今日もキッチンから歌声が聞こえてくる。音を奏でているのは歌ったり踊ったりが大好きなおばあちゃん。
私はおばあちゃんによく似てるって言われる。父も母もそんなタイプじゃなかったし、隔世遺伝じゃないかなんて。
おばあちゃんは昔劇団の最終選考に残って水着選考で胴が長いって落ちちゃったらしいけど、幼い私から見てもキレイな人だった。踊ったり歌ったりする私を見て、『あんたには負けないよ』なんて言ってた。
私はバレエを習った時、すでにいろんな習い事をしていた。習字に水泳、スケートや友達に誘われて入った探検部という変わった習い事まで。友達がアクティブにいろんな事に誘ってくれたおかげでちょっと神経質なところに風穴を開けてくれた気もする。母は割と教育には熱心な方だったので、中学受験をする可能性も視野に入れていたようで、『バレエはプロになりたいなら応援するけど、そうじゃないんだったら今やるべきことじゃないんじゃないの』と言われ、真面目だった私は、白タイツの男の子に持ち上げられるのかぁ…プロとかとはなんかちょっと違うかも…と思うも、やっぱりすごいやりたいという気持ちは消すことができなくて、『中学生になったらダンスを習ってもいい』と約束をして2年ほどで辞めることになった。
季節は巡り、何回目かの春。私は結局受験はせず公立の中学校に進んだ。これでようやくダンスが習えると桜を見上げてルンルン気分♪でも…そうは簡単に問屋がおろさなかった。
『高校受験があるでしょ』 約束はアッサリ引き延ばされてしまった。
あと3年…3年かぁ…高校に行けば…と延びてしまったことに残念に思いながらも、ダンスが習える日を夢見て中学生活を送っていたそんな中、紅白で聴きかじったTM NETWORKの曲をお正月中ずっと聴いていたら、その声や音楽に私はすっかりどハマりしてしまった。そのあと、アルバムかなんかが出た時のTM NETWORKのライブ映像を目にしたとき、私の心はさらにガシィと掴まれてしまった。
美しいメロディーに乗ってフワリ、フワリと華麗に踊るダンサー。
そこに音楽が合間って幻想的な雰囲気を醸し出す。
ミュージカルのように仕立てられたライブに、私はすっかり魅了されてしまった。
あぁ、なんだかすごくその後ろで踊りたいなぁ。私はそんなことを強く思った。ダンサーになりたいとかじゃなく、ずっと頑張っていたらいつか会えたり、後ろで踊れたりするんじゃないか…。
私は吸い込まれるように、画面を食い入るように見つめた。
その映像がまるで写真みたいに焼き付いて、私は余計頑張ろうと思った。
思えばこのとき、ふわりとミュージカルへの憧れのタネが、私の中に舞い降りたのかもしれない。