ミニチュア陶芸家 市川智章のはじまり
盆地の 地面が燃えるように ジリジリする暑さ 蝉の声
自然豊かな 山に囲まれた僕の故郷
キレイに並んだ盆栽たちに 愛おしそうに毎日水をあげる祖父
しわくちゃな優しい手で作り上げる 柔らかな形の器
大好きな祖父が僕に残してくれた記憶
「就活どうする?」
大学3年後半、周りでよく出る話題になっていた。
周りのみんなは、大学生から“何者”かになる為、活動を始めていた。
呑気に沖縄をバイクで巡っていたような大学生活を送っていた僕は、そろそろ現実に戻らないと、とようやく重い腰を上げ、就活を始めた。
僕は旅が好きで、海外に長い間行きたいなと思っていた。
どうにかうまくいける方法はないか。
そんな時、オーストラリアの小学校に、ボランティアの日本語教師として行けるというのを知った。
これだ!と僕はすぐに飛びついた。
任期は9ヶ月。僕は子供も好きだったので、とにかく刺激的で楽しい日々だった。
でも僕は、日本語は教えられても、日本にそんなに詳しくなかった。日本人なのに、なんか変だった。
日本語教師は続けたい気持ちはあったが、ハードルの高さに断念した。
帰国後はアルバイトをしながら、資金を貯め、アメリカ、カナダ、メキシコなどを放浪した。
ユースホステルに滞在し、時には旅先で仲良くなった異国の友達と旅をした。
楽しい時間はあっと言う間だった。
気づくと僕は26歳になっていた。
周りは大学を卒業した後就職し、着実にキャリアを重ね、“何者”かになっていた。
旅に出たのは、ありがちだが、自分探しの旅でもあった。
日本では出会えなかった多くの人と出会い、たくさんの貴重な経験をした。
現地の風を感じ、見たこともない風景を見、毎日ただ、ただ楽しかった。
果たして自分は見つかったのか。
果たして僕は一体“何者”になったのだろうか。
答えが出ないまま、何者かになっていない自分に焦りを感じ、僕は旅を終えることにした。