株式会社おとも 代表取締役 鈴木貴逹のはじまり
僕は時期的にちょうどあった郵便局のアルバイトに応募してみたが、残念ながら定員いっぱいだった。
「こんな仕事ならあるよ。どうかな」
紹介されたのは、経験もないインターネットの訪問営業の仕事だった。僕は時給の高さにすぐ飛びついた。
突然の営業の仕事に戸惑いはあったが、プロバイダーの意味もわからない状態から、一生懸命働くうち、営業成績はトップになっていた。
「一緒に事業をやらないか?」
突然、派遣先の先輩から新しく始める事業に誘われ、僕は派遣アルバイトからいきなり会社の取締役をやることになった。
一から事業を立ち上げることは、苦労もあったが、色んな経験は僕をどんどん成長させてくれた。
あっという間に1年という月日が過ぎ、僕は自分で広告関係の会社を立ち上げることにした。チラシを預かり、新聞折り込みを手配する事業は、少しずつ軌道に乗り始めた。
その後は、競合が増え、厳しい場面もあったが、起業して7年ほど経った頃、最大の危機は突然やってきた。
東日本大震災。
好調だった広告業界も2〜3ヶ月ほど自粛の流れになり、僕の仕事もストップしてしまった。会社は一時傾きかけ、まるで出口の見えないトンネルを歩くような日々だった。
僕の頭には、ポッカリと立派な十円ハゲが出来上がっていた。
そのあとは、ゆっくりと自粛が緩まり、なんとか危機を脱したが、競合の増えたこの業界では会社の体質改善が必要だと感じていた。
僕は薄利多売をやめて固定費を削り、会社の体質を揺るがない筋肉体質に変え、結婚もし、家庭も仕事も落ち着いてきた。
季節はいつの間にか夏になっていた。
遠くでセミが鳴き始め、新しい季節の始まりを告げていた。
そんなある日、たまたま地域で起業したり、団体活動をしている代表が集まる会合に出ることになり、とある事業所の方と名刺交換をすることになった。
後日、どんな会社なのかなと何気なく調べてみると、『視覚障害者ガイドヘルパー養成研修』という文字が目に飛び込んできた。
そこで初めて“同行援護”というものを知った。
同行援護とは、視覚障がいにより移動に困難がある人に同行して、目的地に向かうために必要な情報提供や安全確保をしたり、外出先で代読、代筆など必要な援助を行う福祉サービスで、視覚障がい者を家族にもつ僕ですら初めて知った。
僕は、知らなかったことにも衝撃を覚えた。
すぐ、その事業者に連絡をとり、受講をしたい旨や同行援護の仕組み、資格について色々教えてもらった。
情報を集めるうち、自分でやろうと思った。
資格をとり、広告事業のほかに同行援護の事業所の立ち上げに動き出したが、人集めに苦労した。
福祉と無縁の仕事をしてきた僕にとって、一番の悩みは“人”だった。
介護事業所を立ち上げるのには、様々な人員や要件を満たさないとならなかったが、畑違いの業種でツテが全くなかった。
そんな時、偶然に福祉関係の専門学校の先生をやっている椎野さんと知り合い、こんな適任はいない!と僕は「一緒に会社をやりませんか?」と声をかけた。
「じゃあ、やる」
返事は気持ちいいほど即決だった。
どうやらハッピーな事業だと思って即決してくれたらしい。
そんなこんなで同行援護の事業、“otomo”は動き出した。