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ファミリーヒストリー記録社 代表 吉田富美子のはじまり

話を聞くというと、年配の方の人生を聞くみたいなことを漠然と思っていた。

でも年配の方と生活した経験もほとんどなかったため、不安があった。

そこで、お年寄りと深く接することが多い、ホームヘルパー講座を受講することにした。

レポートやスクーリングののち、3ヶ所の実習先をまわった。

実務の他に、実習生は入所者の方と「お話してくださいね」と言われる場面が多く、本当にたくさんの方とお話することができた。

涙が出るような話。

災害や空襲の話や仕事のこと、家族のこと…

お一人お一人、100人いれば100通りの人生。

誰一人としてたいくつな話はなく、話してくださった方の人生の一端を、追体験したような濃厚な時間を過ごした。

数々の歴史を傾聴する中で、こんな宝物のような思い出の数々を聞き流すだけでいいんだろうか…自分が聞いているだけではもったいない、きっとご家族も聞いていないのではないだろうか、あるいは聞いていても何度も聞いたと遮ってしまっているのではないかと考え、何とか残してあげられないかと改めて思った。

話した後に自分の人生も悪くないと思え、これからまた何かやっていこうと思える、そんなお手伝いができたら…。

そんなことを考えつつ、地域でやっている起業を支援するための塾に通ったり、Webクリエイターの学校に行ったり、少しずつ起業の準備を始めた。

そんな頃、実家の父が病に倒れ、大手術をすることになった。

リハビリの末、なんとか無事に退院することができたが、気がつかない間に高齢になっていた父。

若い頃はあまり親のことを考える事も無かったし、それほど仲が良いわけでも無かった。

昔のことを思い出し、思春期には口をきいてあげなかったとか、家を出てからは毎年の帰省も億劫だったこと、年をとってからは案外身近な話し相手になれることに気付いたこと…

父はそう思っていないかもしれないけど、『お互い頑張って生きてきたねぇ』と言いたいくらい人生の戦友のような気持ちになってきていた。

父は昭和3年、今は北方領土と呼ばれている、歯舞諸島の中の小さな小さな島“秋勇留島”(あきゆりとう)で生まれた。終戦と同時に引き上げてきて、根室半島の漁村に居をかまえ小さな魚屋を始めたということは伝え聞いていたが、実際にどんな理由があって北方領土に来たのか、その前はどこにいたのか、どんな生活をしていたのか…

そういえば私、父さんのこと知らないな…

父と過ごす時間が貴重なんだと、病気になって最悪の事態を考えた時、父の話を聞いておきたいと思った。

幼い時に亡くなった実母。どんな思いだったのだろう。今となっては聞くことも叶わない。母とともに消えた、母だけの記録。

私は父に今までのことを幼少期から少しずつ遡って話を聞くことにした。

生まれた故郷の話、家族の話…私の知らない父の歴史。

父の出身の秋勇留島は10世帯くらいしか住んでいない小さな島で、当時の地図を書いてもらったり、小さな時の思い出や戦前戦後の生々しい体験談を聞いたり。戦前戦後の話は、やっぱり鮮明に覚えているんだと私の心にも深く刻まれた。

「高校行きたかったけど、行けなかったんだよ」と父。

途中「へぇ〜」とか、「ふーん」とか合いの手を入れるくらいで、父はいろんな話をしてくれた。時々、「それでその前は?」とか順序を調整するくらいで、父の半生は聞出すことができた。父の話を聞いたあと、父の父のことを調べるために、父方の戸籍謄本の取得し、遡ってさらに歴史を紐解いていった。

もともと研究職だったので、文献を読むこともあり、どうも調べることが好きだったようで仮説検証を繰り返す前職の経験が生きてるんだなと実感した。

終わった後、姉弟にも父との思い出と父へのメッセージを書いてもらうと、姉弟お互いに、父との接点が異なっていて知らないことも多々あった。実母が早くに亡くなっていることもあり、母が亡くなってからの学年と環境変化に応じて、父に対する気持ちもそれぞれだった。
また4人のメッセージは姉弟同士でも、父にとっても、初めてお互いを知る体験で、姉弟と父しか知らない記憶とかが出てきてグッと身につまされる感じがした。

本が出来上がった後、きょうだい仲が良かったわけでもなかったけど、少し良くなった気がした。

こんなに苦労して育ててくれたんだ…

いつも怒ってばかりいた厳格な父。調べていくうちに異なる姿が見えた。

私は編集などの経験がなかったので、本を出すための勉強や、デザインの勉強などをして、あまり出来のいいものではなかったが、ハードカバーの書籍にして、見本の第一号を完成させた。