
ミニチュア陶芸家 市川智章のはじまり
今思えば祖父が亡くなった喪失感を埋める意味もあったのかもしれない。
祖父をもっと知りたくて、僕は陶芸をやってみることにした。
くるっ くるっ パチッッ。
僕の中で、まるでパズルのピースがピッタリはまったようだった。
とんでもなく面白い!!
僕は自分の好きなものがわからず、あんなに彷徨っていたのに、すぐに陶芸の虜になった。
こんなに近くにあったなんて!
よく言う〟近くにあるものこそ見落としがち〟なのかもしれない。
僕は夢中になって、陶芸に打ち込んだ。
サラリーマンとして働きながら、毎週末は陶芸教室に通った。
途中、人生のビッグイベントである結婚と子育てを経験しながら、陶芸を続けた。
一時期、休むこともあったが、ゆっくり、着実に、一歩ずつ、陶芸の腕が上がっていった。僕は陶芸を一生続けていくんだろうと確信していた。
くるっ。 くるっ。 くるっ。
そんな日々が、12年間続いた。
気づいたら、僕は、42歳になっていた。
僕の陶芸の腕前は、人に教えられるレベルになっていた。
そんな時、友人のカフェで陶芸教室の講師のお誘いを受けた。
『陶芸の楽しさを一人でも多くの人に伝えたい』
いつか祖父みたいに陶芸を教えることができたらと思っていた僕は、初めての体験に不安を感じながらも、挑戦することにした。
やってみないと分からない、人生の旅はチャレンジと楽しさの連続だ。
「本当に楽しかったです!またやりたい!」
なんて暖かい、生徒さんからの言葉。
僕が陶芸を通して伝えたかったことはちゃんと伝わっていた。
この言葉は、これから先、教室をやっていく僕を支えてくれるのに十分な言葉だった。
教室を開催する度、生徒さんの色んな顔の器が出来上がった。
そういえば、祖父の器は、ろくろを使わず、手で全て作る“手びねり”の手法で作られていた。
人柄を表すように、優しくて味のある器だった。
僕のオリジナリティーはなんだろう、、
そんな折、海外の人のミニチュアろくろの動画をたまたま見つけた。
僕は衝撃を受けた。
小さなろくろがクルクルッと回り、スルスルっと土が立ち上がり、小さな器が姿を表す。
ミニろくろで、陶芸をやりたい!!
前から旅先でも陶芸ができたらいいなぁなんて思っていたので、この出会いに心が躍った。
これなら自分の今の技術とミックスすれば、オリジナリティーがより出せるかもしれない。
抑えられない衝動に駆られた僕は、電動ミニろくろの機械を探したが、残念ながら、日本では販売されていない。でも、衝動が抑えられない。
気づいたらネットや秋葉原で色んな部材を買って、電動ミニろくろの製作を始めていた。
電動で動く物なんて、ミニ四駆しか作ったことがない。
でも、無我夢中だった。
改良、失敗し、挑戦を繰り返した。一つ一つの工程は失敗続きだったけど結果それが成功へとつながった。
独学は、小さな発見がとても楽しく、遠回りのようで、実は確実に身になるので、あながち遠回りでもないかもしれない。
1ヶ月後、世界に一つだけのスマートホンで操作する、電動ミニろくろの初号機が完成した。
クルッ、クルッ、クルッッ! 電源を入れて、操作すると勢い良く小さなろくろが回った。
心の奥底から、途轍もない大きな感動がこみ上げた。
紛れもなく、僕が生み出した、可愛い子供だ。
僕は、この子を“ゆびろくろ”と名付けた。