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アニメーション作家 高橋生也のはじまり

大学生活は、一言で言えばつらい4年だった。

楽しいことももちろんあったし、いい仲間にも恵まれた。

社会的にはダメだけど、歯止めをかけない、天然の面白い感覚を持ったヤツ。

絵が尋常じゃなくうまくて、作品の端々に美のセンスに溢れたヤツ。

みんなそれぞれ尊敬できる友人たち。

でもやっぱり、一言で言うとそうなってしまう。

色んな個性のある人のエネルギーのるつぼ。

我が強く、まともなやつなんかいない、みんななんだかぶっ飛んでる。

美術大学なのだから、個性が強い奴が多くて当たり前なのだが、アカデミックな大学の中では、毎日競争状態のような感じだった。

教育的な枠の中では、個性がある分、自由に物作りができないのが苦痛で仕方ない。

常にお前に何ができると言う目が注がれる。

居場所は自分で作るしかない。

弱みを見せたら、足元を掬われる。自分を守れるのは自分だけだ。

僕は周りに飲まれないよう、自分なりの個性を出すためアニメーションを作るようになった。

同級生や、教授に評価されるための作品作りの日々。

これは僕にとって毒だった。

こんなのをやりたかったわけじゃない。

僕は早く自由になりたくて、ウエディング映像や美術搬入のアルバイトをしながら課題などをこなし、在学中に実践を積む為、フリーの映像作家としても活動を始めた。

辛い大学生活から気持ちの上で逃げた。

でも、逃げは何かのはじまりだ。

自分が辛い場所にいて、そこから逃げることは、何かを始めることに繋がる。

大学3年の終わりには、周りでチラホラ就職の話が出るようになっていた。

卒業後、就職する人が大半だった。

なぜみんなこんな歳で就職しちゃうのかな。

僕はそんな素朴な疑問を持っていた。

僕の卒業後の進路はもう決まっている。

フリーのアニメーション作家としてやっていく。

この気持ちに迷いはなかった。

キツイのは目に見えている。

僕は生活が安定することが怖かった。

生活が安定したら、しんどくて不安定なフリーに戻れると思えない。

自分の性格上、一回就職してしまえば、戻って来られない気がしていた。

とにかく2、3年はアルバイトをしながらでもやろうと決めた。

2015年3月 僕はようやく大学という窮屈な箱から解放された。競う箱がなくなって、僕は身分の上でも、作品作りの上でも本当に自由になった。